ライオン・キング(2019)の話【ネタバレ?】
実写版(?)ライオンキング、トイ・ストーリー4に比べてそれほど話題になっていないような気がします。ダンボ、アラジンの実写リメイクも今年やっていますし、流石に食傷気味でしょうか……私は全然苦になりませんけど(笑)。と言いますか、私の中でトイ・ストーリー シリーズに並ぶ大好きな作品なので、実写リメイクもめちゃくちゃ楽しみにしていました。
まず言及しなければいけないのが、実写版とまで銘打つ映像表現について。その名に恥じぬ素晴らしい映像は、冒頭のワンカット以外全てCGという前情報は持っていたとしても、実際のサバンナで動物と撮影したに違いないと思ってしまうほど。また、リアルな映像の中で違和感が出ないように演出・再構成されたミュージカルシーンもお見事。CG技術の成熟がこの映画を作らせたと言っても過言ではなく、それだけでこの作品を作る/観る意味があったと思います。
ですが、私の期待はちょっと別のところにありました。
冒頭でも書いた通り、ここ数年はディズニークラシックの実写化が盛んです。リメイクにあたって近代的な思想を取り入れたアップデートが行われている作品も多く、私個人としてはライオン・キングにもそういった何かを期待していました。アニメ版から25年経った2019年の今、リメイクする意味をどこに置くのかという点です。
いざ蓋を開けてみれば、ストーリーに大きな改変は無かったように見えました。多くのメディアでもそのような報道がなされており、見たい人の感想も「大好きな作品がそのまま実写になっていて良かった」という"賛"の声と、「これならアニメを見ればよいのでは?」という"否"の声が半々といったところ。私としても、観た直後は両方の意見に頷くばかり。1週間ほど考えてようやく納得できる解釈が出来たのでブログにしている、というところです。
ここからはネタバレを含みます。正直なところ、アニメ版は吹き替えで何度も見ていますが最後に見たのはだいぶ前。今回の実写版は字幕で1度しか見ていないこともあってうろ覚え。その上での考察になるので、話半分で、お手柔らかにお願いします(笑)。
まず言及しなければいけないのが、実写版とまで銘打つ映像表現について。その名に恥じぬ素晴らしい映像は、冒頭のワンカット以外全てCGという前情報は持っていたとしても、実際のサバンナで動物と撮影したに違いないと思ってしまうほど。また、リアルな映像の中で違和感が出ないように演出・再構成されたミュージカルシーンもお見事。CG技術の成熟がこの映画を作らせたと言っても過言ではなく、それだけでこの作品を作る/観る意味があったと思います。
ですが、私の期待はちょっと別のところにありました。
冒頭でも書いた通り、ここ数年はディズニークラシックの実写化が盛んです。リメイクにあたって近代的な思想を取り入れたアップデートが行われている作品も多く、私個人としてはライオン・キングにもそういった何かを期待していました。アニメ版から25年経った2019年の今、リメイクする意味をどこに置くのかという点です。
いざ蓋を開けてみれば、ストーリーに大きな改変は無かったように見えました。多くのメディアでもそのような報道がなされており、見たい人の感想も「大好きな作品がそのまま実写になっていて良かった」という"賛"の声と、「これならアニメを見ればよいのでは?」という"否"の声が半々といったところ。私としても、観た直後は両方の意見に頷くばかり。1週間ほど考えてようやく納得できる解釈が出来たのでブログにしている、というところです。
ここからはネタバレを含みます。正直なところ、アニメ版は吹き替えで何度も見ていますが最後に見たのはだいぶ前。今回の実写版は字幕で1度しか見ていないこともあってうろ覚え。その上での考察になるので、話半分で、お手柔らかにお願いします(笑)。
小さな変更、大きなアップデート
アニメ版でも実写版でも、父親の幻に導かれたシンバが自分の役割を認識し、故郷を救うために走り出すというプロットは同じです。ですが、そこには明確な違いがあったように思います。
アニメ版において、ムファサの幻は「生きるべき世界で役目を果たせ。思い出せ。お前が誰かを。私の息子、真の王なのだ」と説きます。王族であるお前の役目だというのです。過去に向き合ったシンバが言うのが「ここは僕の王国だ。僕がやらなきゃ誰がやる」というセリフ。王国の救済を、王の子として生まれた運命に従って果たすという風にも取れます。……まぁこの後ナラが「私よ」って即答するんですけどね。
実写版においては、過去から目を背けるシンバに対して"責任"という言葉が多用されていました。スカーが王座に座り、プライドランドが荒廃し続けるのはお前の責任だ、故郷に戻りお前の責任を果たせ。ここまでハッキリ言っていたわけではありませんが、アニメ版(少なくとも吹き替え版には)無い単語なので間違いないと思います。また、父の幻影も決して王族の務めを果たせという言い方はしておらず、それに伴って上記のセリフ「僕がやらなきゃ誰がやる」も削除されていたハズです。
でも、本当に「僕」がやらなきゃいけないんでしょうか?
ライオンがすべての動物を治める立場にあり、その王が世襲制で決まるというのはファンタジーです。アニメ版で素晴らしいドラマを生み出したその設定も、実写版では途端に説得力を失います。実際のライオンの群れにおいては、リーダーの交代=若く力のある雄に群れを乗っ取られるということです。つまり、若く力のある雄ライオンがいればシンバでなくても良いんじゃないでしょうか? 我々人間の世界でも、本当に"私"にしか出来ない仕事なんて無いのでは? 代わりなんていくらでもいるじゃないですか。
運命に強制されるものではない。自分じゃなくても良い。それでも自分の"責任"と捉えて行動に移すシンバの支えは何だったのでしょう。
ここで効いてくるのが、ナラ役のビヨンセが歌う新曲 SPIRIT でしょう。シンバは自分が誰か思い出し、魂に従い、プライドランドを救うべく砂漠を疾走します。アニメ版には無かったこの曲こそが、リメイク版のメッセージの鍵を握っていたのではないでしょうか。ビヨンセの見せ場としてソロ曲が用意された、なんてことはないはず。「心の声に従って」というテーマは最近よく用いられるモチーフですし、いい線突いているように思うんですけど、どうでしょう。
現代における"責任"
ここから先は穿った見方になりますが、2019年という背景に偶然とは思えない符合を感じてしまいます。それは2020年に控えるアメリカの大統領選挙についてです。
トランプ政権化でアメリカは大きく変わりました。どう評価するかは個々人の立場による所でしょう。いずれにせよ、彼を選んだのは国民です。彼が大統領の席に座り、アメリカという国が変化していく……これはお前の"責任"だ、そして次の"責任"を果たす時だ。Be Prepared! そう突き付けているように思えてなりません。
最後の件は置いておくにしても、実写リメイクにおけるアップデートについては個人的に納得のいく解釈が出来て非常に満足しています。今後、色々とレビュー記事が出たり、製作者のコメンタリーが出て、てんで的外れなことを言ってることが分かってしまうかもしれませんが(笑)。
そうなったら、ハクナ・マタタということで、どうかひとつ。
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