シュガーラッシュ:オンラインの話(ディズニープリンセスの話)
個人的に傑作だと思っているシュガーラッシュの続編を見てきました。原題はRalph breaks the Internet、今度はインターネットで大暴れだそうで。
内容については……やはり続編は難しい(笑)。
ちょっとその辺り、自分用の覚書用途を含めて書いておこうと思います。
予告と本編の違いを書くので、微塵のネタバレも許せないという人は読まない方が良いです。
今回の映画に登場したプリンセスをおさらいすると以下の通り。
白雪姫(白雪姫/1937)
シンデレラ(シンデレラ/1950)
オーロラ姫(眠れる森の美女/1959)
アリエル(リトル・マーメイド/1989)
ベル(美女と野獣/1991)
ジャスミン(アラジン/1992)
ポカホンタス(ポカホンタス/1995)
ムーラン(ムーラン/1998)
ティアナ(プリンセスと魔法のキス/2009)
ラプンツェル(塔の上のラプンツェル/2010)
メリダ(メリダと恐ろしの森/2012)
アナ(アナと雪の女王/2013)
エルサ(アナと雪の女王/2013)
モアナ(モアナと伝説の海/2016)
総勢14名。プリンセス像の変遷を語るにあたって良く見られるのは、3つの時代に区分する形です。
まずはプリンセス像の原点とも言える白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫。彼女たちは基本的に王子様に幸せにしてもらうタイプのキャラクター。特に何をしたわけでもないのに気が付けば王子様と結婚し、「何時までも幸せに暮らしました」というお決まりのパターンへ。シンデレラストーリーという言葉があるように、プリンセスに対して未だにこの印象を抱いている人も少なからずいるでしょう。
そこから30年が経ち、次に登場するのは自ら行動するプリンセス。声を犠牲にしても王子と共にありたいと願うアリエルや、恐ろしい野獣を自らの愛で持って救うベル、民族の対立を背負いながらも愛に生きるポカホンタスなど、30年前の"気付けば幸せプリンセス"と比べれば流石に世代の変化を感じます。しかし、そこには常にプリンス(ヒーロー)の存在がありました。ムーランで一旦はその呪縛から逃れるも、10年後に再始動したその後の作品ではやはり王子様と結ばれる最後が好まれていました。男女が結ばれることがプリンセスストーリーの条件であり、それこそが幸せだと信じられていた時代だったんですね。
そういった既存の概念を完全に打ち壊したのが「アナと雪の女王」でした。王子様がいなくても幸せになれるというストーリーは、ディズニーが作り上げてきたプリンセス像とは全く相反する、正にエポックメイキング的な作品となるものでした。まぁ、人々の頭に残ったのはレリゴーの4文字でしたが。そして、更にその路線を突き詰めた作品が「モアナと伝説の海」です(詳細は省くので是非ご覧ください)。物語のパーツとしてのプリンセスという概念は消失し、自ら定義したハッピーエンドへ向けて突き進む、強いキャラクターこそが現代のディズニープリンセスなのです。
注:メリダについて言及していないのは彼女がPixar作品のキャラクターであり、既存作品の流れから外れた存在だからです。
余談ですが、ここ数年で実写リメイクが続く古いディズニー作品の中では、現代のプリンセス像に合わせて物語もアップデートされているのだとか。また、TVアニメシリーズでも面白い展開があるようですが、残念ながら私はそこまでチェックできていません。
ディズニープリンセスは、夢見る力を持った、プリンセス。
つよくて、やさしくて、かしこくて、信じた夢を、あきらめない。
ディズニープリンセスは、勇気を持って、前にすすむ。
夢を叶えたその先には、もっと大きな夢が待っていて、世界が、はてしなく広がっていることを、 知っているから。
だからあなたも、夢への一歩を、踏み出そう。
プリンセスはいつだって、がんばるあなたを、応援している。
昔のディズニープリンセスを想像すると、そうでしたっけ?となりますよね。
ちなみに日本の公式サイトに載っているのは、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、アリエル、ベル、ジャスミン、ラプンツェル、モアナの8人。ムーランやティアナの知名度の低さはしょうがないかもしれませんが、アナとエルサが外されているのは謎ですね。
予告:「大きくて強い男の人に幸せにしてもらったと思われてる?」
本編:「男の人がいないと何もできないって思われてる?」
ヴァネロペ:「そうだけど、それが何だって言うの?」
ここまで読まれた方でしたら、予告の表現であったとしても、男性によって幸せになるという旧来のプリンセス像と、未だにそう思っている世間一般に向けた皮肉の言葉だということは分るかと思います(自分たちで作った、というところも含めて)。ただし、特に日本においてはそういった旧プリンセス像への願望と、それを使ったマーケティングが行われているということもあって、「王子様が幸せにしてくれることがプリンセスの条件だ」と言葉通り(?)捉えてしまった人が沢山いたみたいですね。
そうしてポジティブな意味で受け取った人が、本編の表現をこれまた言葉通りネガティブな意味合いで受け取ってしまって、ちょっと納得できない!と声をあげているというのが実情のようです。補足すれば、これもまた旧いプリンセス像に対する皮肉なのは言うまでもありません。
更に言えば(ここまで説明するのは野暮かもしれませんが)、「男性に救われるだけの旧来のプリンセス像を周りから持たれている」ことでプリンセスとして認められたわけではありません。そういった印象を持たれているけど別に関係ないよね?と反発することで、ようやく認められたのですね。自分の意志が重要というわけ。
I am princess !!
内容については……やはり続編は難しい(笑)。
大きくて強い男の人に幸せにしてもらったと思われてる?
それよりも、予告にも出ていたヴァネロペとプリンセス達が絡むシーン。ここ数年のディズニープリンセス事情を踏まえないと解釈が大きく違ってしまって良く分からないことになりかねません。というか既になっているようで。Twitterで言及している人もいるし、知恵袋でも幾つか質問されているを見かけました。ちょっとその辺り、自分用の覚書用途を含めて書いておこうと思います。
予告と本編の違いを書くので、微塵のネタバレも許せないという人は読まない方が良いです。
ディズニープリンセスについてのおさらいと変遷
ここ数年、ディズニープリンセスは大きな転換期にあります。"プリンセス"という概念が変わってきていると言っても良いでしょう。過去にディズニーが作り上げたイメージを自ら変えようとしている、と言うのが話を複雑にしているところですが。今回の映画に登場したプリンセスをおさらいすると以下の通り。
白雪姫(白雪姫/1937)
シンデレラ(シンデレラ/1950)
オーロラ姫(眠れる森の美女/1959)
アリエル(リトル・マーメイド/1989)
ベル(美女と野獣/1991)
ジャスミン(アラジン/1992)
ポカホンタス(ポカホンタス/1995)
ムーラン(ムーラン/1998)
ティアナ(プリンセスと魔法のキス/2009)
ラプンツェル(塔の上のラプンツェル/2010)
メリダ(メリダと恐ろしの森/2012)
アナ(アナと雪の女王/2013)
エルサ(アナと雪の女王/2013)
モアナ(モアナと伝説の海/2016)
総勢14名。プリンセス像の変遷を語るにあたって良く見られるのは、3つの時代に区分する形です。
まずはプリンセス像の原点とも言える白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫。彼女たちは基本的に王子様に幸せにしてもらうタイプのキャラクター。特に何をしたわけでもないのに気が付けば王子様と結婚し、「何時までも幸せに暮らしました」というお決まりのパターンへ。シンデレラストーリーという言葉があるように、プリンセスに対して未だにこの印象を抱いている人も少なからずいるでしょう。
そこから30年が経ち、次に登場するのは自ら行動するプリンセス。声を犠牲にしても王子と共にありたいと願うアリエルや、恐ろしい野獣を自らの愛で持って救うベル、民族の対立を背負いながらも愛に生きるポカホンタスなど、30年前の"気付けば幸せプリンセス"と比べれば流石に世代の変化を感じます。しかし、そこには常にプリンス(ヒーロー)の存在がありました。ムーランで一旦はその呪縛から逃れるも、10年後に再始動したその後の作品ではやはり王子様と結ばれる最後が好まれていました。男女が結ばれることがプリンセスストーリーの条件であり、それこそが幸せだと信じられていた時代だったんですね。
そういった既存の概念を完全に打ち壊したのが「アナと雪の女王」でした。王子様がいなくても幸せになれるというストーリーは、ディズニーが作り上げてきたプリンセス像とは全く相反する、正にエポックメイキング的な作品となるものでした。まぁ、人々の頭に残ったのはレリゴーの4文字でしたが。そして、更にその路線を突き詰めた作品が「モアナと伝説の海」です(詳細は省くので是非ご覧ください)。物語のパーツとしてのプリンセスという概念は消失し、自ら定義したハッピーエンドへ向けて突き進む、強いキャラクターこそが現代のディズニープリンセスなのです。
注:メリダについて言及していないのは彼女がPixar作品のキャラクターであり、既存作品の流れから外れた存在だからです。
余談ですが、ここ数年で実写リメイクが続く古いディズニー作品の中では、現代のプリンセス像に合わせて物語もアップデートされているのだとか。また、TVアニメシリーズでも面白い展開があるようですが、残念ながら私はそこまでチェックできていません。
Dream Big, Princess.
そういった流れでディズニーとして打ち出しているのが Dream Big, Princess.というキャンペーンです。日本の公式サイトでも特設のページがあり、そこに記されているのは下のような言葉です。以下引用。ディズニープリンセスは、夢見る力を持った、プリンセス。
つよくて、やさしくて、かしこくて、信じた夢を、あきらめない。
ディズニープリンセスは、勇気を持って、前にすすむ。
夢を叶えたその先には、もっと大きな夢が待っていて、世界が、はてしなく広がっていることを、 知っているから。
だからあなたも、夢への一歩を、踏み出そう。
プリンセスはいつだって、がんばるあなたを、応援している。
昔のディズニープリンセスを想像すると、そうでしたっけ?となりますよね。
ちなみに日本の公式サイトに載っているのは、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、アリエル、ベル、ジャスミン、ラプンツェル、モアナの8人。ムーランやティアナの知名度の低さはしょうがないかもしれませんが、アナとエルサが外されているのは謎ですね。
それを踏まえてのあのシーン
プリンセスを自称するヴァネロペに対して、歴代のプリンセス達が問いかけるのは"プリンセスとしての資格"。彼女たちはそれぞれの個性や作品の要素を挙げていきますが、中にはダークなもの(毒、呪い、誘拐、監禁)もあり、ヴァネロペに警察よぼうか?と言われる始末。この時点でギャグなので、そういう流れかと私は受け取りましたが、特に予告だと最後の質問が微妙に分かりづらいのかもしれません。予告:「大きくて強い男の人に幸せにしてもらったと思われてる?」
本編:「男の人がいないと何もできないって思われてる?」
ヴァネロペ:「そうだけど、それが何だって言うの?」
ここまで読まれた方でしたら、予告の表現であったとしても、男性によって幸せになるという旧来のプリンセス像と、未だにそう思っている世間一般に向けた皮肉の言葉だということは分るかと思います(自分たちで作った、というところも含めて)。ただし、特に日本においてはそういった旧プリンセス像への願望と、それを使ったマーケティングが行われているということもあって、「王子様が幸せにしてくれることがプリンセスの条件だ」と言葉通り(?)捉えてしまった人が沢山いたみたいですね。
そうしてポジティブな意味で受け取った人が、本編の表現をこれまた言葉通りネガティブな意味合いで受け取ってしまって、ちょっと納得できない!と声をあげているというのが実情のようです。補足すれば、これもまた旧いプリンセス像に対する皮肉なのは言うまでもありません。
更に言えば(ここまで説明するのは野暮かもしれませんが)、「男性に救われるだけの旧来のプリンセス像を周りから持たれている」ことでプリンセスとして認められたわけではありません。そういった印象を持たれているけど別に関係ないよね?と反発することで、ようやく認められたのですね。自分の意志が重要というわけ。
I am princess !!
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