TVGWNNの話
TVGWNNとはなんぞや。本題にたどり着くまで、ちょっとだけお付き合いください。
先日TVをぼーっと見ていましたら、現代社会は既に"人生100年時代"を見据えているという話がありまして。恥ずかしいことに初耳だったんですが、"人生100年時代"という言葉は2017年の流行語にも入選していたんですね。100歳まで生きることが標準となるのであれば、私はあと70年も生きることになります。正直、先は長い、ため息を吐かずにはいられません。年配の方から見れば贅沢な悩みと怒られるでしょうが、どれだけ時代が経ってもその辺の感覚なんてもそんなもんです。私も老人になれば若人を妬んでいらぬお節介を焼くに違いありません。
先日TVをぼーっと見ていましたら、現代社会は既に"人生100年時代"を見据えているという話がありまして。恥ずかしいことに初耳だったんですが、"人生100年時代"という言葉は2017年の流行語にも入選していたんですね。100歳まで生きることが標準となるのであれば、私はあと70年も生きることになります。正直、先は長い、ため息を吐かずにはいられません。年配の方から見れば贅沢な悩みと怒られるでしょうが、どれだけ時代が経ってもその辺の感覚なんてもそんなもんです。私も老人になれば若人を妬んでいらぬお節介を焼くに違いありません。
100年、というと今年生まれた子供は2118年まで生きることになるワケですね。2118年!なんと未来的な響き!とは言っても、2000年も、2010年も、2020年だって、未来だなぁと思っていた時代があるわけで、2118年もいざ来てみれば大したことないのかもしれません。130歳となる私は流石に死んでいるとは思いますが、もし医療技術の進歩で存命というパターンであるならば、出来るだけ"健康に"生かしてほしいものです。もしくは不老化技術を確立するとか。今の老人を見ていても余生を楽しむだけの余裕がない人が大勢いますからね。私は小説や映画、ゲーム辺りの娯楽が楽しめなくなった時点で死にたくなるかも……まぁ2118年ともなれば安楽死の議論ももっと進んでいるでしょう。
さて、技術の進歩、と常に共にあるのがゲームです。100年後のゲームはどうなっているでしょうか?
そんな誰にも分からない未来のゲームについて、1つの解答となりうる小説(?)に出会いました。ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム(The video game with no name/TVGWNN)、「2115年に開設された、過去100年の低評価ゲームをレビューするブログ」というテイの小説です。今回の本題。
さて、技術の進歩、と常に共にあるのがゲームです。100年後のゲームはどうなっているでしょうか?
そんな誰にも分からない未来のゲームについて、1つの解答となりうる小説(?)に出会いました。ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム(The video game with no name/TVGWNN)、「2115年に開設された、過去100年の低評価ゲームをレビューするブログ」というテイの小説です。今回の本題。
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舞台となるのは2115年。体を機械で置き換えるサイバネティクス技術や、脳に直接電極を埋め込み通信機能を持たせるBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が普及している未来。未来とは言いつつそこは過去に発売されたゲームをレビューするブログですので、ゴーグル式のVRやウェアラブルグラスによるARといった現実で実現しかけている"レトロ"なものから、BMIを用いて脳に直接作用するゲームや、ゲームを一緒にプレイするためのアンドロイドなんて"SF的"なものまで登場します。……未来とか過去とかレトロとかSFとか混乱しますね。というか100年前のゲームともなるとレトロというよりか太古のゲームと言えそう。
まず、登場する1つ1つのゲームのアイディアがとっても秀逸で、新しい技術が登場すればこういったゲームが開発されるハズだという希望に溢れています。作中に登場したゲームを例として挙げれば、「苦痛を感じることのできるFPC(ファースト・パーソン・コンバット)」「バーチャルペットのために用意された天国オンライン」「ナノマシンで強制的に感情を操作するADV」。私もゲーマーの端くれですから、こんな未来が来るかと思うとワクワクが止まりません。
そして忘れてはならないのが、いずれも低評価のゲームというトコロで、低評価となってしまった理由についてもしっかりと用意されております。開発の経緯、発売された時代背景、致命的な不具合、新技術ゆえの未熟さ、運営のミス等々。全てフィクション……のハズですが、作中で言及される低評価の理由は現代のゲームに当てはまるものも多く、モチーフとなったゲームや社会現象を思い浮かべて笑ってしまうこともしばしば。「宗教ゲームの緊急メンテナンスで配布される"詫び徳"」なんて、パワーワード以外のなにものでもありません。
ブログという構成上1つ1つのゲームレビュー(章)は独立しているため、あまり読む順番に関係がなさそうで、これは書籍で読む必要が無いのでは?と読み始めたころの私は思っていました。しかし、これがまた上手いこと出来ておりまして、レビューしたゲームを伏線として回収する雑記が挟まれるという構成になっているのが実に巧妙なんですよ。実際のブログにおける雑記と言えば、あってもなくても困らない世間話、毒にも薬にもならないようなものばかり。しかしこのTVGWNNの雑記では、これまでレビューしたゲームをトリガーとして、筆者の人生が語られます。これがなんとも楽しく、悲惨で、羨ましく、哀れで、素晴らしく面白い。
ゲームを遊び続け、遊び続け、遊び続けた末に筆者がたどり着く結論。これは是非、本書を実際に手に取って確認していただければと思います(私は電子版でしたけど)。
書籍という形で紹介しておいて追記するのも無粋かもしれませんが、TVGWNN、ネットで読めます。カクヨムという小説投稿サイトで連載されていますので、読んでみて1つでも気に入った話があれば、購入して応援しましょう。書籍の続きも読めますので。
The video game with no name-作者 赤野工作
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